戦国武将に学ぶ経営のヒント(第61回)

立身出世物語が悪人物語になった松永久秀の行動

2020.06.02

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 2020年1月に始まったNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公、明智光秀。その光秀を取り巻く武将も多士済々で個性が光っています。その1人が、吉田鋼太郎さん演じる松永久秀ではないでしょうか。有名武将がそろった戦国時代。久秀はそれほどメジャーな存在ではなく、初めて名前を聞いた方もいるかもしれませんが、戦国時代を代表する武将の1人であることは間違いありません。

 久秀には“戦国一の悪人”との評があります。また、日本で初めて爆死を遂げたと伝えられています。そして、あの信長が家康に対して「人が1つとしてなし得ないことを3つ行っている」と紹介したと伝えられています。最近は信長が指摘したとされる行為は、久秀によるものではなかったという説もあるようですが、とにかくエピソードの多い人物です。

 生年は、1508年といわれていますがはっきりとはしていません。出自についても分かっておらず、身分の高い出ではなかったようです。当時、阿波国(現・徳島県)の三好長慶が畿内へと勢力を伸ばしていました。そして1533年頃、久秀は右筆(ゆうひつ)として長慶に仕え始めます。右筆というのは、現在の書記のような役職。急成長する企業に途中入社したような形です。

 長慶は勢力を増す中で、主君である細川晴元と対立。晴元に反旗を翻します。長慶の軍勢に押された晴元は、12代将軍・足利義晴と義輝の父子と共に近江国(現・滋賀県)に逃亡。京には将軍不在となり、上洛(じょうらく)した長慶が実質的に政権を担うことになりました。久秀は三好家の家宰(かさい)に任命されます。家宰は家長に代わって家政を取り仕切る重責で、政治力を持つことになります。また、京における公家や寺社との交渉の窓口になったのが久秀でした。

 対立していた長慶と晴元は和睦し、近江の地で13代将軍となった義輝は1558年に都へ戻ります。そして、久秀は義輝の御供衆(おともしゅう)に任ぜられました。御供衆は、御相伴衆(おしょうばんしゅう)に次いで将軍の近くに仕える役職。御相伴衆には長慶が、同じ御供衆には長慶の嫡男である三好義興が共に就いていたことを見ても、久秀が高く評価されていたことが分かります。

 また、久秀は大和国(現・奈良県)を与えられ、信貴山城を自らの居城としました。出自のはっきりしない久秀が、時の実権を握る家を取り仕切り、将軍の側に仕え、一城のあるじとなるというのは、かなりの出世です。中途入社した能力の高いビジネスパーソンが、縁故などとは関係なく上り詰めていったようなものですから、そのさまは立身出世物語として、もっと日本人に好かれてもいいと思われます。

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