アスリートに学ぶビジネス成功への軌跡(第21回)今宮純 モータースポーツジャーナリストという矜持

人材活用

2020.03.26

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 「昨夜のマンセルのオーバーテイクはすごかったね」

 「見たよ!まさか最終ラップの高速コーナーでアウトから抜いて来るとはベルガーも思わなかっただろうな」

 F1(フォーミュラーワン)ブームが日本を席巻していた1990年前後、週明けのオフィスでは眠そうな目をした人たちがこのようにレースの話題で盛り上がるシーンが多かったのではないだろうか。

 F1ブーム到来の大きなきっかけとなったのは、おおよそ3つの理由がある。ホンダがエンジン供給でF1に参戦し好成績を挙げていたこと、そのホンダエンジンを搭載していたロータスのマシンを1987年の開幕戦から中嶋悟さんがドライビングすることになったこと。その開幕戦から鈴鹿サーキット(三重県)で開催される日本GPを含むシリーズ全戦がノーカットでテレビ中継されることになったことが挙げられるだろう。

 そのF1中継の解説を長く務めた今宮純さんが2020年1月に亡くなられた。突然の旅立ちだった。アスリートがいくら素晴らしいパフォーマンスを見せても、それが届かなければ社会に影響を与えることはない。そうした意味で、今宮さんのように、アスリートの活躍を広く知らしめ、一般の人々とつなぐ役割を果たす存在は不可欠だ。日本にはなじみが薄かった欧州生まれのF1という文化を広く日本に浸透させ、ブームを巻き起こした功績に敬意を表し、今宮さんにスポットを当ててみたい。

大学卒業後、フリーでレースの報道解説をスタート

 F1が日本で初めて開催されたのは、ブーム到来の10年以上前、1976年10月のことだ。マクラーレンのドライバー、ジェイムス・ハントとフェラーリのドライバー、ニキ・ラウダが激しいチャンピオン争いを演じた76年のシリーズは、ロン・デニス監督作品「ラッシュ」(2013年)で映画化されている。最終戦のジャパンGP(当時の名称)をこの映画でご覧になった方もいるだろう。

 大学卒業後、フリーランスのモータースポーツジャーナリストとして活動を始めて3年目の若き今宮さんは、早くも自動車専門誌からジャパンGPのフルリポートを任されている。F1各チームの来日からレースが行われる富士スピードウェイ(静岡県)での練習走行、予選、そして24日に決行された雨の決勝レースまでを原稿用紙100枚に相当するボリュームでまとめられた。彼の緻密なリポートを読むと、自らの職業をレース評論家ではなく、モータースポーツジャーナリストと定めた今宮さんの仕事に向かう姿勢と矜持が感じられる。

 ここに76年度F1ドライバーチャンピオンは、英国のマクラーレンに乗る、英国のハントに決定した。全世界で12ヵ国の人々がこの瞬間を宇宙中継で見た。表彰式は、激戦の初めてのジャパンGPにふさわしく、美しい光景だった。
(『auto technic 』1976別冊F-1Race in Japan)

 ゴール後のシーンをこのように描写した今宮さんは、来年以降もずっと続くと思っていたF1の日本開催が、翌年の観客を巻き込んだ事故の影響により2年目で中止され、次の開催まで10年の歳月を必要とすることは思ってもみなかっただろう。ましてや87年の日本GPのテレビ中継で自分が解説することになろうとは想像もしていなかったに違いない。

分かりやすい解説がF1ファンの拡大に貢献した…

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執筆=藤本 信治(オフィス・グレン)

ライター。

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