ビジネスWi-Fiで会社改造(第38回)
ビジネスWi-Fiが介護施設を変える
公開日:2022.03.15
廃業寸前だった着物の製作所は、なぜ13年間も続いた赤字経営を黒字に転換することに成功できたのでしょうか?「OKANO」五代目社主の岡野博一氏に話を聞きました。
<目次>
・市場が縮小し続ける呉服市場で、なぜ黒字化に成功したのか?
・日本の伝統工芸品は、海外のブランドと比べて〇〇が高過ぎる
・「一人前になるまでに10年」を1年に短縮
・「DXを推進する」といわずにDXを推進する方法とは
・文化はもうかる!
日本には数多くの伝統工芸品が存在しますが、福岡県福岡市の博多地区で作られている「博多織」もその1つです。
博多織は、しなやかさと丈夫さが特徴の絹織物です。鎌倉時代の1241年を起源とし、江戸時代には幕府の献上品としても扱われ、以来現在まで700年以上続く歴史を誇っています。1976年には、国の伝統的工芸品に指定されました。
この博多織を、「OKANO」というブランドで製造・販売するのが株式会社岡野です。同社は1897年に創業した伝統のある着物の製作所ですが、長らく赤字経営が続いていました。しかし、OKANOの五代目社主であり、同社代表取締役社長も務める岡野博一氏は、社長就任後にさまざまな改革を推し進めることで、13年間も続いた赤字経営を黒字に転換することに成功しました。
「呉服はもともと庶民の着物ではありませんが、戦後復興の経済成長によって庶民でも買えるようになり、市場は一時的に拡大しました。とはいえ、その後は呉服市場を支えてきた消費者の高齢化や団塊世代のお金の使い方の変化、少子化などの影響を受け、市場は縮小し続けています。私が26歳で社長に就任した当時も売り上げは芳しくなく、廃業寸前の状況でした」(岡野氏)
なぜ岡野氏は、廃業寸前だった博多織のビジネスを立て直せたのでしょうか?
岡野氏が伝統工芸の世界に入ったのは1999年のこと。当時の岡野氏はすでに大学を卒業しており、人材コンサルタント会社を設立・経営していましたが、家業であった博多織の事業が廃業寸前だと知り、26歳で事業を引き継ぐことを決断します。
この決断の背景には、岡野氏ならではの勝算がありました。
「事業引き継ぎの前に、世界の伝統工芸ビジネスの市場調査を実施しました。国内では多くの伝統工芸が衰退しつつあったものの、海外には顧客のニーズの変化や内需縮小を見越し、輸出を前提としたビジネス戦略やマーケティング施策を打ち立て、ビジネスとして成功を収めたケースが多く見られました。
例えばフランスの『エルメス』もその1つです。エルメスはもともと馬のくらを作っていた工房ですが、エルメスのファンは『エルメス』という名の下に作られたスカーフや香水も欲しがります。これこそが、ブランドを売るビジネスモデルです。事業を継承するに当たって、商品を売るのではなく、ブランドを売るという意識改革を実行し、『OKANO』というブランドのアイテムのファンを作るべきだと思いました」(岡野氏)
岡野氏はさらに、エルメスのような海外のラグジュアリーブランドと、日本の伝統工芸の経営手法の違いにも着目。財務諸表を調べたところ、日本の伝統工芸品の原価率は、海外ラグジュアリーブランドの2倍ほど高かったといいます。つまり日本の伝統工芸品は、販売価格に対して原価の割合が高く、利益が上がりにくいビジネスモデルだったのです。
「なぜ日本の伝統工芸品の原価率が高いかというと、日本は職人が一気通貫で制作しているのに対して、ラグジュアリーブランドは分業体制を取っているからです。
利益率の高いビジネスになれば、職人の報酬も高く設定できるため、より仕事に打ち込める環境になります。若い人材も採用しやすくなるため、職場環境に好循環が生み出せます。しかし日本では、原価率が高いため職人に還元される報酬も少なくなります。そうした状況が続けば、職人の仕事に対するプライドも徐々に失われ、若い人材の育成も難しくなってしまいます」(岡野氏)
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岡野 博一(おかの ひろかず)
26歳のときに、本家が営んでいた博多織元を買受、代表就任。13年間続いた赤字を黒字化することに成功するとともに、博多織をルーツとするOKANOを世界ブランド化する起点をつくる。アーティストをプロデュースする株式会社風土代表、有田焼開祖の系譜を受け継ぐ李参平窯顧問、元博多織工業組合理事長なども務める。
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