ビジネスWi-Fiで会社改造(第40回)
複数フロアのオフィス全体にビジネスWi-Fiを導入
公開日:2019.11.29
島田商店(工業薬品の製造・販売)
事業承継を果たした経営者を紹介する連載の第10回は、東京・墨田区で主に環境保護関連の工業薬品を製造・販売する島田商店。78歳の嶋田喜行会長と、2015年に事業承継を受けた長男の嶋田淳(じゅん)社長に話を聞いた。
島田商店は、1928年に嶋田会長の父・嶋田藤一氏が現在の東京・墨田区で創業した。染料や塗料、工業薬品を取り扱う会社で修業し、薬種商販売の資格を持っていた先代の藤一氏は、個人事業として主に皮革製品に使う塗料の販売や着色の事業からスタート。その後、47年に有限会社、67年に株式会社化している。
大学を卒業し、薬剤師の資格を取得した嶋田会長が島田商店に入社したのは1963年。創業者の父親は堅実な経営を続けており、当時の島田商店は親族を含め従業員が6~7人、売り上げは2~3億円ほどの規模だった。
これに対し、嶋田会長は「変化を恐れ、保守的な父の姿勢が不満だった」という。37歳で社長になってからは、会社の成長拡大へと歩みを進めた。
「顧客を回り、足を使って稼がなければ企業は大きくならない。100年以上続く老舗企業も、現状にあぐらをかいているわけではなく、常に挑戦しているから続いている。どうしたら会社を大きくできるのかと悩み、異業種交流会に参加して他の会社がどのように伸びているのかを勉強しました」(嶋田会長)
さまざまなヒントを得た嶋田会長は、人々が安全な環境で安心して過ごせる社会にするため、環境問題に関連する事業を展開できないかと思い付いた。売り上げのシェアはまだ少なかったものの、創業当時から工業薬品を扱っていたことから、水質の改善ならすぐに着手できそうだと考えた。そこで始めたのが水をきれいにする殺菌剤(塩素)の取り扱いだ。
この事業が当たった。浄水場や下水処理場など官公庁の入札から始まり、最近ではフィットネスクラブやスーパー銭湯など民間企業の需要が増えている。
嶋田会長は娘2人、息子1人に恵まれた。3人姉弟の末っ子として生まれた長男の淳社長は、嶋田会長にとって「待望の男の子だった」という。「子どもの頃は直接本人に伝えたことはなかったが、内心では会社を継がせるつもりで育てた」と話す。
淳社長は小学校受験をして東京・文京区にある名門校、筑波大学付属小学校に進学。しかし、淳社長は勉強ではなくサッカーにのめり込む。
「子どもの頃はサッカー選手になりたいと考えていました。私自身ほとんど勉強はしなかったけれど、優秀な学校だったために勘違いして、どうせ社長になるなら小さな家業の商店ではなく、大企業の社長になってやる、などと思っていました」(淳社長)
淳社長は日本の大学を卒業後、MBAを取得するため米国のニューヨーク市立大学に進学する。
「世界ナンバー1の国に行ってみたかった。同級生には社員2000人を抱える企業の社長ジュニアをはじめ、5~6人規模の企業の社長ジュニアまでいろいろな人がいた。国籍も文化も違い、日本で当たり前のことが世界では当たり前ではないことを知ったのが、一番の学びだった」と淳社長は振り返る。
ところが、留学3年目の2001年9月11日。ニューヨークを同時多発テロ事件が襲う。淳社長は道半ばでの帰国を余儀なくされた。
帰国後、淳社長は自然な流れで島田商店に入社する。
「そのとき、就職先の選択肢にはいろいろなアイデアがありました。その中で直接的な学びにならない異業種を選択肢から外し、同業の取引先に修業に行く案が有力で、紹介もしてもらいました。しかし、同じ業種の会社で働くと、そこの十字架を背負うことになります。お世話になった会社を裏切れないために、自由に仕事ができなくなるのではないか。その会社との取引を常に意識しながらしか会社は成長していけない。だったら、父親が経営する会社で修業したほうがいい、というのが父も含め関係者全員が最終的に出した結論でした」(淳社長)
最初の配属は配送部。一社員としてトラックを運転し、大事な商品を取引先まで運んだ。嶋田会長には「従業員の気持ちが分かる経営者になるため、基礎から始めるべきだろう」との考えがあった。
淳社長が子どもの頃は、事業の約95%が塗料だったため、家業のイメージは「塗料販売業」だったという。しかし、サッカーに夢中になったり、米国に留学したりしている間に、殺菌剤の事業が急伸。「入社してみたら塗料販売業ではなく、薬品会社だった」と淳社長は苦笑する。淳社長が子どもの頃から工場で働いていた社員が専務や工場長になっており、帰国後の淳社長を温かく迎え入れてくれたという。
配送から製造、営業などを経て、数年後に取締役となった淳社長は新商品開発にのめり込む。「島田商店がメインで扱う殺菌消毒剤は、お風呂の浴槽洗剤から哺乳瓶の殺菌、台所用洗剤など多方面に応用できる。どの分野にまだ開拓の余地があるかを検討し新商品を提案していくのは楽しかった」と淳社長は話す。
水の脱臭に使われる「活性炭」事業の開始、入札自治体の拡大、そして土壌汚染分野にも進出し、豊洲市場の土壌洗浄にも携わった。こうして島田商店が成長の一途をたどるのと同時に、70歳を過ぎた島田会長は自身の進退を考えるようになった。
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執筆=尾越 まり恵
同志社大学文学部を卒業後、9年間リクルートメディアコミュニケーションズ(現:リクルートコミュニケーションズ)に勤務。2011年に退職、フリーに。現在、日経BP日経トップリーダー編集部委嘱ライター。
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