ビジネスWi-Fiで会社改造(第41回)
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公開日:2022.10.25
千房(お好み焼きチェーンの運営)
事業承継のヒントを紹介する連載の第45回は、大阪市浪速区に本社を構える、お好み焼きチェーン「千房」の創業者、中井政嗣氏。高級路線に踏み切った「ぷれじでんと千房」や「千房エレガンス」など新業態も次々に展開し、現在、全国に72店舗を運営する。3人の息子に恵まれた中井会長は、2018年に三男の中井貫二氏に事業を承継した。
中井政嗣会長は、1945年、奈良県の農家の子どもとして生まれた。きょうだいは7人。家が貧しく、中学を卒業した後、兵庫県尼崎市の乾物屋にでっち奉公に出た。5年間働いた後、姉の夫が経営する洋食レストランでコックの修業を開始する。しかしあるとき、義兄から「後継者を探しているお好み焼き屋があるので、そこを継いで独立しろ」と勧められた。
「私は西洋料理のコックになりたかったんです。お好み焼きは食べるのは好きでしたが、商売として関わりたくはなかった」と当時を振り返る中井会長。しかし、義兄にさとされ、1967年に千房の前身となる「お好み焼 喜多八」を継ぐ。
「お好み焼き屋は嫌だ、という当時の思いが今の千房を作る大きな原動力になっていきます。その頃の私は、お好み焼き屋なんて、一人前の人間が携わる商売ではないという偏見を持っていたんです。お好み焼きに関わるのが恥ずかしい、カッコ悪いと思っていた。だから、そこで働く従業員はもっと嫌だろう、恥ずかしいだろうと思ったんですね。従業員を募集しても、来てくれなくて当たり前だという思いが根底にあったんです。だからこそ、従業員が胸を張り、自信を持って働けるようなカッコいいお店を作りたい。カッコいい会社になろうと思ってやってきました」(中井会長)
独立して6年目、ようやく喜多八が軌道に乗り始めた頃に、大家から借りていた店舗の明け渡しを言われた。移転先の店舗を探し、1973年に大阪千日前に「お好み焼千房」の1号店をオープンした。
従業員が誇りを持って働けるよう、どんどん新しい挑戦を続けた中井会長は、「千房には“日本初”と冠がつくものがたくさんある」と胸を張る。
とはいえ、最初から72店舗にまで広がるとは考えていなかった。「2店舗目を出店したときには、チェーン展開すると決めていました。それでも、当時5人の従業員がいたので、それぞれを店長にして、5店舗を目指そうといった程度の気持ちでした」と中井会長は振り返る。
予想を超えて大きく展開できた理由は3つあると中井会長は分析する。それは、「味がいい」「値段が安い」「立地がいい」の3つ。多店舗化にあたりこの3つの要素を厳守したのだ。しかし、いい立地の場所は当然、家賃が高くなる。
「飲み屋街のど真ん中という好立地の1号店は、保証金や権利金などで初期費用は5000万円ほどかかりました。周囲は大反対です。でも、私は絶対ここだと思いました。なぜかというと、競合店舗がいないからです。誰も、こんな高い家賃を払ってお好み焼き屋をやろうなんて思わない。予想通り、お客さまを独占できました。この経験から2店舗目以降も好立地に出店するという戦略を続けたのです」(中井会長)
店舗を拡大し、売り上げは右肩上がりだった。「20代の頃、『中井さん、景気はどうや』と周囲に聞かれるので、正直に『むちゃくちゃいいですね』と答えていたら、『あいつは生意気や』と批判されました。本当のことを言ったらダメなんだと分かり、それからは『ぼちぼちでんな』と答えるようになりました」と中井会長は笑う。
2013年には大阪府に本社を置く格安航空会社(LCC)のPeach Aviationの機内食に採用された。「お好み焼きが機内食に採用されたのは、世界初です。それまでは、お好み焼きは匂いが充満するからと機内販売は敬遠されていました。しかし、匂いが充満するからいいという逆の発想で採用していただき、これが大成功でよく売れました。匂いがただようから、お好み焼きを食べたくなるんですね」(中井会長)
庶民的な食べ物という従来のお好み焼きのイメージを打ち破り、1985年には都ホテル大阪内に初めて高級食材を使った「ぷれじでんと千房」を開業。2006年にはさらに鉄板焼きメニューなどオリジナルメニューを加えた「エレガンス千房」もオープン。「2020年に東京・虎ノ門に開店した『琥(こはく)千房』は、1人単価15000円以上です。お好み焼きをディナーとして楽しんでいただけます」と中井会長は話す。
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執筆=尾越 まり恵
同志社大学文学部を卒業後、9年間リクルートメディアコミュニケーションズ(現:リクルートコミュニケーションズ)に勤務。2011年に退職、フリーに。現在、日経BP日経トップリーダー編集部委嘱ライター。
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「事業承継」社長の英断と引き際