偉大な先人に学ぶ日本ビジネス道(第20回)ベンチャーに積極的に融資した北浜銀行、岩下清周

雑学

2018.01.17

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 経済の活性化、社会の活性化を促すためにベンチャー企業の育成が日本の大きな課題の1つになっています。政府も「日本再興計画」の中でベンチャー創出力の強化を打ち出しており、ベンチャーの育成は喫緊の課題といってもいいでしょう。

 この課題は、従来の産業構造が行き詰まりを見せている現代においても、初めて行き当たったものではありません。長かった江戸時代から明治維新を経て、西欧化を進めた明治時代、大正時代も、新しいビジネスが必要とされました。そうした時期にベンチャーの育成に取り組んだ人物が、北浜銀行の岩下清周(いわした きよちか)です。

 清周は、明治維新を前にした1857年、信州松代藩士の家に生まれました。東京商法講習所(現・一橋大学)を卒業後、三井物産に入社。米国勤務から、仏国に赴任し、パリ支店長を務めるなど、エリートコースを歩みます。パリ時代には、遊学してきた伊藤博文、山県有朋らと交友。また、普仏戦争(プロシア(独)=フランス戦争)でフランスが敗れた原因を調べ、工業振興が国を救うとする「工業立国論」をこの頃に持ちます。

 その後、三井銀行の中上川彦次郎に招かれ、1891年に入行。1895年には、大阪支店長に就任しました。清周は、当時としては型破りな銀行マンでした。清周の信念とは「事業は人なり」。門地(=家がら)や家格(=家の格式)を重視する風潮がまだ強かった時代でしたが、清周は事業家の展望や見識を重視し、可能性があると見れば積極的に貸し付けを行いました。

 しかし、清周の積極融資を三井本店は快く思っていなかったようです。清周が貸付限度額を150万円から500万円に引き上げようとしたことなどで、入行の恩人である中上川とも対立。清周は三井銀行を辞すことになります。

銀行を設立し、ベンチャー融資に注力する…

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