戦国武将に学ぶ経営のヒント(第63回)後継者の資質を見抜けなかった斎藤道三の悲劇

歴史・名言

公開日:2020.08.04

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 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」は、一時放送を休止するなど新型コロナウイルスの影響を受けています。そんな中、これまでの放送の中で主人公・明智光秀に劣らない存在感を見せているのが本木雅弘さん演じる斎藤道三です。

 有名な小説の影響などで、道三は以前、油商人から一代で美濃国(現・岐阜県南部)の国盗りに成功した人物とされていました。しかし近年、見つかった数々の史料により、現在は父・松波庄五郎と二代で国を盗ったという説が有力になっています。今回は、この二代説に従って話を進めます。

 油商人だった松波庄五郎は美濃の守護・土岐氏に仕えていた長井長弘の家に出入りするようになり、やがて家臣として取り立てられます。そして守護の地位をめぐって土岐頼武と土岐頼芸の兄弟が対立する中で勢力を伸ばし、1533年に亡くなりました。

 1494年に生まれ壮年に差し掛かっていた道三は、父の後を継ぎ、美濃の国盗りに突き進みます。1541年には、頼芸の弟である頼満を毒殺。翌年には頼芸の居城・大桑城に攻め入り、頼芸を尾張国(現・愛知県)に追放しました。これで、道三は美濃の実権を握ることになります。

 土岐氏の家臣だった長井長弘に仕えていた庄五郎・道三の親子にとって、土岐氏は主家筋に当たります。その土岐氏の頼芸を追い出し、無慈悲に下克上を果たしたことをもって、道三が「美濃のマムシ」といわれるゆえんです。

 ただ、頼芸もそのまま黙ってはいません。頼芸は尾張で勢力を誇っていた織田信秀を頼り、美濃に侵攻。美濃への復帰を果たします。そして、1547年には信秀が越前国(現・福井県)の朝倉孝景と連携し、道三の居城である稲葉山城に攻め入りました。

 このような情勢の中、道三は娘の帰蝶(きちょう)を信秀の嫡子・織田信長に嫁がせるのと引き換えに、信秀に対し和睦を提案、信秀もこれを受け入れます。信秀の脅威を取り去った道三は、頼芸を再び尾張に追放。道三は美濃を完全に手中に収めることになりました。

信長を評価して、後継者は評価せず…

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