戦国時代、土佐から版図(はんと/領土のこと)を広げていき、四国の大部分を制圧したのが長宗我部元親です。近年、コミックの主人公になったり、ゲームのキャラクターとして人気を集めたりして、一気に知名度を上げた武将です。有力大名の出ではなく、兵力に恵まれていたわけではありませんでしたが、「ある工夫」によって軍を強くしていきます。
元親は1539年、長宗我部国親の嫡男として生まれました。長宗我部家は、土佐(現在の高知県)の豪族。一条家、本山家などの諸豪族が覇権を争っていた土佐において、国親も領地を広げるために参戦しました。
1560年から、国親は本山家との戦いに入ります。この戦乱の1つ長浜の戦いにて、元親は初陣を飾りました。元親は幼少の頃から性格がおとなしく、また容姿も色白で「姫若子」と呼ばれ、周囲からは頼りなく映っていたといわれています。初陣に臨むときにも元親はやりの使い方を知らず、家臣に「敵の眼を突け」と教わって戦場に赴くほどでした。
しかし、元親はもともと武将としての資質を持っていたのでしょう。この戦いで元親は「武士なら命を惜しまず、名を惜しめ。一歩も引くな!」と叫びながら勇猛果敢に敵陣に進み、敵兵を倒し、周囲の評価を一変させます。そして間もなく国親が病死したため、元親が家督を継ぐことになりました。
四国を制するも、天下人、秀吉に下る
姫若子から若き勇将へと変貌を遂げた元親は本山家との戦いを継続。支城を次々に攻め落としますが、なかなか決着がつかず8年かけてようやく本山家を降伏させることに成功します。
勢いを駆って元親は安芸家を倒し、一条家との戦いに入りました。土佐の有力豪族であった一条家との決着にも、6年の歳月を費やしましたが、1575年、四万十川の戦いに勝利してついに土佐を制圧しました。
土佐全体を手に入れて勢力を増した元親は、四国統一を進めていきます。讃岐の十河家、阿波の三好家、伊予でも諸勢力を排します。この結果、四国の大部分を手中に収めることができました。
ここで立ちはだかったのが豊臣秀吉でした。四国で勢力を伸ばしていた元親に対して、織田信長の時代も圧迫があったのですが、その死去により危機を脱するという幸運がありました。しかし、四国をほぼ制圧して一大勢力になった元親を、天下統一をもくろむ秀吉が潰しにかかってきたのです。
元親も抵抗を試みますが、秀吉勢に追い詰められていき、ついに降伏。土佐以外の所領を没収されてしまいます。しかし、その後、秀吉の臣下となり九州征伐、小田原征伐など天下統一を進める重要な戦いに参戦した後、1599年に病でこの世を去りました。
現場スタッフの声を重視した元親の姿勢…
最終的には秀吉に下ったものの、四国の一地方である土佐の、しかも決して有力ではなかった豪族の元親が、なぜ四国をほぼ制覇するまでになったのでしょうか。
その理由の1つは、手持ちの人的リソースを最大限に生かしたことにあると思われます。有名なのが、国親が始め、元親が活用したといわれる「一領具足」の制度です。それまでの土佐の足軽は土地も持たない領民を兵として使役していましたが、「一領具足」の制度では自営できる領地を農民に与えて兵としたのです。
これにより安定して兵士を戦場に出せるようになったため、戦いの前に自軍の兵力が分かるというメリットが生まれました。また、領地を与えられるため、それまでの足軽に比べて忠誠心、帰属意識が強いという特長がありました。この違いは、戦場での働きに如実に表れたといいます。
さらに元親は、身分として一番低かった一領具足たちの意見を積極的に聞いたこともポイントです。戦略についての提言にまで耳を貸し、実際に採用することもあったといいます。
例えば、阿波攻めに際しては、元親は重臣と一領具足に意見を求めました。重臣たちは長期戦を主張。一方、一領具足は「機を捉えるべき」と短期決戦を提言します。両方の意見を聞いた元親は一領具足のほうを採用し、具体的な計画まで一領具足から聞き出したというエピソードが残っています。これらにより実際に戦場で働く兵のモチベーションが上がり、元親軍の強さにつながったのです。
こうした元親の姿勢は、ビジネスに対する示唆に富んでいるように思います。多くの企業ですでに意識されていることですが、帰属意識を高めることはやはり社員のパフォーマンスの上昇につながることでしょう。
元親は領地を与えることで帰属意識を高めましたが、企業も同様です。きちんと給与を払うことは最低限の条件であり、遅配やサービス残業の強要などはもってのほかです。その土台の上で、理念や社風への共感、社史に対する理解、創業者への敬意など、複数の要因が絡み合い帰属意識を高めます。
元親が一領具足の意見を尊重したことも注目に値します。一領具足は、いうなれば最前線で働く現場スタッフ。俯瞰(ふかん)する立場のマネジャーにしか見えないことがあるのと同時に、現場に立っているスタッフにしか分からない感覚もあります。
戦国時代の戦略に関する判断には家の命運、自分の命がかかっています。このような重要な判断について、元親は現場で動く一領具足の感覚を重視しないではいられなかったのではないでしょうか。
もちろん企業において最終的に判断を下すのはマネジャーであり、経営陣です。経営手法として、現場スタッフの言いなりになるのは論外ですが、現場スタッフの感覚にまったく耳を傾けないのも、決定的に誤った判断をする可能性があります。元親を見ていると、このことを改めて諭されている思いがします。現場スタッフやその感覚を活用して、成果を上げた元親を見習いたいものです。