戦国武将に学ぶ経営のヒント(第89回)築城名人の哲学① 熊本城を造った加藤清正の「体験」と「経験」

歴史・名言

公開日:2022.10.17

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 戦国時代には戦の拠点として、そして戦後の世が終わった江戸時代には権威の象徴、また地域の中心として重要な役割を果たしたのが城です。歴史上には、築城の名人といわれた武将がいました。本稿ではそうした武将の城造りからビジネスのヒントを探るシリーズの第1回として、加藤清正を取り上げます。

 幼い頃から豊臣秀吉に仕え、秀吉子飼いの武将といわれた清正は、秀吉の下で名護屋城、指月伏見城の築城を行い、秀吉没後は徳川家康の下で江戸城、名古屋城などの建設に携わるなど、数々の城でその腕を発揮しました。しかし、築城の名人として清正の名を広く知らしめたのは、なんといっても熊本城です。

 熊本城はその壮麗さとともに、堅固なことで有名です。幕末の西南戦争では薩摩藩の西郷隆盛が政府軍の籠城する熊本城を攻めましたが、2カ月かけても落城させることができず、「官軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」と語ったという話が残っています。

 清正は1600年頃から約7年かけて熊本城を完成させましたが、熊本城を難攻不落の城としたことの背景には、慶長の役での体験がありました。

 秀吉の忠臣だった清正は、秀吉の朝鮮出兵に参加。1597年からの慶長の役でも、朝鮮半島に乗り込みました。左軍の先鋒(せんぽう)となった小西行長に対し右軍の先鋒(せんぽう)を任された清正は、慶尚道の日本海沿いの町・蔚山に戦線東端の拠点を設けることにします。約2カ月の突貫工事で、蔚山城(うるさんじょう)が完成。そこに明・朝鮮軍が攻め込んできました。

 一応の完成は見たものの蔚山城の堀や土塁はもろく、城を囲む惣構は早々に突破され、明・朝鮮軍に包囲されてしまいます。冬の蔚山の寒さに加え、水・食料が尽き、清正らの籠城軍は厳寒と飢餓で追い詰められます。しかし籠城14日目に毛利吉成らの救援部隊が到着し、九死に一生を得ました。

 秀吉の没後、家康についた清正は関ヶ原の戦いで、関ヶ原には赴きませんでしたが、九州における東軍の将として小西行長の宇土城、立花宗茂の柳川城などを攻略し、九州の西軍勢力を次々と破ります。その戦功が認められ、肥後52万石のあるじとなった清正は、中世の隈本城があった高台に自らの居城を造ることにしました。

 清正の頭には、3年前の蔚山での記憶が強く残っています。そこで意識したのが、徹底的に守りに強い城です。

攻め込ませず籠城に強い堅固な熊本城の秘密…

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