戦国武将に学ぶ経営のヒント(第57回)光秀の処世術(1)能力はあるが失業!どうする?

歴史・名言

2020.02.04

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 2020年1月19日から放送が始まったNHK大河ドラマ『麒麟がくる』。個性あふれるキャスト、色鮮やかな衣装などが評判を呼び、好スタートとなりました。今後1年間、長谷川博己さん演じる主人公の明智光秀がどのようなドラマを見せるのか、注目しましょう。

 光秀というと主君の織田信長に対して「本能寺の変」で謀反を起こしたため、逆臣との悪いイメージが強いのですが、それは一面でしかありません。

 これから、麒麟がくるでも描かれることになりますが、光秀は秀吉と並ぶ優秀な武将であり、負傷した家臣に見舞いの書状を送り、領国の丹波では治水工事などに力を発揮するなど善政を行い、没した後も「御霊さま」と慕われる名君でした。また歌や茶などを嗜む教養人としても名高く、光秀は文武に秀でた非常に優秀な戦国武将でした。

 そんな優秀な光秀の人生は常に順風満帆だったわけではありません。不遇の失業時代もありました。光秀は、1528年(1516年説もあり)に美濃国(現・岐阜県)で生まれました。明智氏は美濃国の守護大名を務めた土岐氏の血筋を引いています。光秀は土岐氏に代わって美濃の国主となった斎藤道三に仕えるようになります。

 1556年、その道三が息子である斎藤義龍と対立し、長良川の戦いが勃発します。7倍もの軍勢を持つ義龍に攻め立てられ、道三は戦死。光秀も居城の明智城を攻め立てられ、離散の憂き目に遭いました。

 主君である道三が亡くなり、領地を失った光秀は失業です。窮した光秀は、母のお牧が越前国(現・福井県)称念寺の末寺・西福庵に縁があったことから、妻の熙子(ひろこ)と子どもを連れて称念寺に身を寄せます。そして門前に寺子屋を開きながら、仕官の機会をうかがいました。

“文”に続き、“武”でもアピール…

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