戦国武将に学ぶ経営のヒント(第28回)現実を直視して生き抜いた伊達政宗のしたたかさ

歴史・名言

2017.09.12

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 「独眼竜」の異名を持つ伊達政宗は、豊臣秀吉や武田信玄らと並び、戦国武将の中でも屈指の人気を誇る武将です。隻眼に眼帯を付けた政宗の姿はNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」などを通じて広く親しまれています。

 政宗には、数々の戦果を上げて奥州の領土を拡大した勇猛な武将というイメージがあるかもしれません。しかし、そうした側面がある一方、独特の慎重さ、バランス感覚を持っていました。

 例えば、秀吉への対応に性格が色濃く表れています。1595年、政宗は会津の蘆名義広を破り、南奥州を制覇します。しかし、これは関白となった秀吉が1585年に出した「惣無事令(そうぶじれい)」に反するものでした。惣無事令は、大名間の戦争を禁止しています。この件で秀吉は政宗を非難する書状を出し、政宗のほうでも弁明の書状を送りますが、両者の間に不穏な空気が流れます。

 そして天下統一をめざして東に勢力を進める秀吉は、小田原城を本拠とする北条氏と対立。戦火を切ることになります。関東の大物・北条氏との戦いに当たり、秀吉は前田利家、加藤清正など豊臣家子飼いの家臣を集結させました。そして、傘下に収めていない東北の武将にも参戦を呼びかけました。

 秀吉に抗戦するか、臣従するか。ここで政宗は判断を迫られます。「伊達家は、源頼朝以来の奥州探題(幕府の役職)。秀吉ごとき成り上がり者に屈することはない」という声が重臣たちから出てきます。

 しかし、異なる意見を持つ者もいました。参謀の片倉景綱です。「秀吉勢は天下の大軍。夏の蝿のように、いくら追い払ってもたちまちたかられることになるでしょう」。こうした現実的な景綱の意見を取り入れ、政宗は秀吉の下に駆け付けることを決断します。

秀吉に恭順するも、したたかに暗躍…

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