脱IT初心者「社長の疑問・用語解説」(第81回)
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公開日:2019.01.15
戦国の世が終わり、江戸時代に入ると、武士は戦の場から離れることになりました。しかし太平の世にあっても、いや戦の場から離れたからこそ、武士の間では戦国時代の武士の精神を受け継ごうという機運が高まりました。そうした機運の中で、多くの武士の心を捉えたのが『甲陽軍鑑』です。
甲陽軍鑑は、信玄の側近として仕えた武将・高坂昌信の口述を昌信のおい・春日惣次郎らが書き残し、江戸期に入って小幡景憲が編さんしてできたものといわれています。全20巻からなる本編と上下巻の末書で構成されており、18巻までが主に信玄の事績で、残りの2巻が主に勝頼の事績。信玄から勝頼に至る武田家の戦いの歴史、家法、軍法、甲州武士の風習や心構えなどが細かく記されています。
昌信が直接仕えた信玄、勝頼の言動が生々しく伝わる内容で、一時は偽書とされていましたが、研究の結果、現在はその正当性が広く認められるようになりました。
甲陽軍鑑を読み込んだ江戸時代の武士たちは、そこに武士としての範を見ました。江戸期には武士道が成立しますが、武士道の成立にも甲陽軍鑑が大きな役割を果たしているといわれています。そして甲陽軍鑑は、江戸時代の武士だけでなく、現代に生きる私たちにも大きな示唆を与える内容になっています。
信玄は、言わずと知れた武田家のリーダーです。そばに仕え日々その言葉に接していた昌信は、信玄のリーダー論にも触れていました。
例えば、次のような記述があります。
「人を使うとき、同じ方向を向いている侍を好み、同じような作法をする人間ばかりをかわいがって召しかかえることを、信玄は大いに嫌った」
つまり、同じ傾向を持つ人間ばかりを集めると、組織は弱くなる。これが、信玄の基本的な考え方でした。
次のような言葉もあります。
「渋柿を切って甘い柿を継ぐのは、小身者のすることだ。中以上、特に国を持つような大名は、渋柿でその用を達することが多いものである」
渋柿というのは、自分にとって渋い、要するに自分と反対の意見を持つ者と考えられます。反対意見を持つ者を切って自分に賛成する者を取り入れるのは、小者がやることだ。特に組織が大きくなると、反対意見を持つ者が重要になる。そう信玄は説いているのです。
信玄は、「兵が何も言わず、黙って大将の命令を聞くときこそ、戦には勝つものである」との言葉も残しています。これは前述と矛盾しているようですが、そうではありません。兵が自分の意見を言わないということではなく、兵が何も言う必要がないほど、将の命令が納得いくもので、それによって一丸となることで戦に勝つということだと考えられます。
人材登用に関しては、次のような言葉も印象的です。
「仮にもこの晴信(信玄)、人を使うときには人を使わず、技を使う」
少し分かりにくい言い方ですが、人を性格や好き嫌いで判断して使うことはない、人物はその能力で判断して使うということだと思います。リアリストとして、シビアに部下の能力を見極め、使いこなしていた様子がうかがえます。
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戦国武将に学ぶ経営のヒント