戦国武将に学ぶ経営のヒント(第26回)天下人・秀吉の「部下道」――言われる前に考える

歴史・名言

公開日:2017.07.11

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 戦国時代には名だたる名将、知将が覇を争いましたが、一番の出世を遂げたのは豊臣秀吉でしょう。いや、秀吉は戦国時代だけでなく日本の歴史上一番の出世頭かもしれません。

 秀吉の出自に関しては、詳しいことは分かっていません。生年月日についても1536年1月1日、1537年6月15日、1537年2月6日と3つの説があります。また、父が木下弥右衛門であることは分かっていますが、弥右衛門の身分についても諸説あります。

 秀吉自身が父について言明しておらず、後に秀吉は「あやしの子」と記されたところを見ると、いずれにしても高い身分の出ではなかったようです。このあたり、名門・甲斐源氏の嫡流である武田信玄、越後(現・新潟県)の守護代を務めた長尾氏の流れをくむ上杉謙信らと比べても、秀吉の立場はまったく違っています。そこから天下人にまで上り詰めたのが秀吉でした。

 秀吉は幼少の頃、遠江(現・静岡県)の頭陀寺城(ずだじじょう)城主・松下加兵衛に奉公し、その後、織田信長に仕えます。そして信長の躍進とともに出世をしていくことになりますが、それを支えたのは徹底した「部下道」ともいうべきものでした。

 秀吉は、小者として信長に仕え始めます。小者というのは、住み込みで雑用を行う奉公人。最初は、馬の世話をする馬飼いの役をあてがわれました。小者の中でも、下の者の役割です。このとき、秀吉は17、18歳。決して子どもではありません。

 この馬飼いの仕事を、秀吉は見事にこなしていきます。昼夜、飼料が不足しないように気を配ります。また、暇があれば馬の毛並みを整えていたため、しばらくすると馬がつややかに光を放つようになりました。これが信長の目に留まり、秀吉は草履(ぞうり)取りを命ぜられます。秀吉の出世の第一歩です。

秀吉のガマン哲学…

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