戦国武将に学ぶ経営のヒント(第71回)

名僧の教え(2)上杉謙信に示唆した人間の「根本的な意義」

2021.04.12

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 上杉謙信は、戦にめっぽう強い軍神として、また大義名分のない戦をしない義の武将として知られています。

 前回は伊達政宗を育てた虎哉宗乙(こさい・そういつ)を紹介しましたが、この謙信も天室光育(てんしつ・こういく)、益翁宗謙(やくおう・しゅうけん)という2人の僧侶に教えを受け、その教えが人格形成に深く寄与しています。

 謙信は1530年、越後(現・新潟県)の守護代を務める長尾為景の四男(次男、三男説もあり)として生まれました。謙信は7歳のとき、為景の居城である春日山城にほど近い曹洞宗の寺、林泉寺に預けられます。この林泉寺で教育に当たったのが、6世住職の天室光育でした。

 天室光育は、幼い謙信に対しても厳しく指導します。その中心となったのが、「信心を益深す」「怨憎を漸減す」「遊浮の心少なし」などを内容とする十徳でした。

「信心を益深す」は仏に対する信心を強く持つ、「怨憎を漸減す」は恨みや憎しみを減らしていくという意味で、現代のアンガーマネジメントにも通じるものです。「遊浮の心少なし」は、浮ついた心を少なくするという箴言(しんげん)です。

 こうして謙信は7年間、天室光育から信仰心や人生における心構えをたたき込まれました。このとき培ったものが、謙信という人物の基礎となったことは想像に難くありません。謙信は生涯、仏教に深く帰依し続けました。

 謙信は14歳で元服し、内乱の鎮圧など武将として歩み始めます。林泉寺の住職は天室光育から弟子の益翁宗謙に引き継がれますが、謙信は変わらず参禅を続け、益翁宗謙から教えを受けました。

 ある日、益翁宗謙は謙信に、「達磨大師が『不識』といった意味は何か」という問いを出しました。これは、禅の公案集『碧巌(へきがん)録』にも載っている「達磨不識」の話に基づくものです。

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